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魔法のことば

 私は今年、五十歳になる。孔子の言葉にして言えば〝天命を知る〟、季節に例えるなら〝朱夏(しゅか)〟の後半、といったところか。
 
 他人(ひと)から見れば、たかだか五十年の歴史だが、私にとって自分自身程、舵の取れない舟はなく、嵐の中で〝青春(せいしゅん)〟が過ぎて行った。
 嵐は常に変化して私を襲う。生まれつきの右半身麻痺という障害。そのために夢を諦めた五歳。歯を食いしばって耐えた学校生活。二十歳でてんかんを患い、二十五歳でうつを発症した。その病歴は二十五年を越える。
 
 これでもか、これ以上何が来る、そう身構えた時、ふと、思い出したことがある。それは、大海原の灯台のように、私の行く道をも照らしてくれた言葉だった。
 
 一九八二年(昭和五十七年)四月、私は京都府立朱雀高校に入学した。入学式での音楽部によるハレルヤコーラスを聞き、急転直下、合唱の虜になって早速入部。初心者ながらも懸命に練習した。
 その入学式から一週間程経ったある日、朝の休み時間に、バレーボール部の三年生から声をかけられた。
「今、背の高いアタッカーが欲しいねん。バレー部に入らへん?」
 何ということだろう。五歳の時、叶わない夢と諦めたバレーボールへの思い。それが身長が高い(当時一六五センチ)おかげで、先輩の目に留まるとは。断るしかなかったけれど、私はなんだかとても嬉しかった。心の中の小さな痛みが、癒えていくような気がした。
 そして私は決心した。バレーボールが出来ない分まで、合唱に打ち込もう、と。
 
 あの時の先輩の言葉を思い出せずにいたら、私は今もうつの状態で、歌うことの楽しさを忘れたまま、日々笑顔でいられることも、精力的に毎日を過ごすこともなかっただろう。
 もう顔も名前も忘れてしまったけれど、その先輩は背が高くて、制服をバッチリ着こなしていて、本当にかっこよかった。私は先輩に憧れを抱き、変わらずに感謝している。
 
 嵐はいつか通り過ぎていく。私の人生は、〝青春〟からいつの間にか〝朱夏〟になり、舟をもう一度漕ぎ出して、やがて〝白秋(はくしゅう)〟を迎えることになる。
 実りの秋に、どんなものを収穫し、どんなことを得られるだろう。そのために現在があり、一つの言葉、一つの行動に意味を持たせることが、大切になると思う。
 人生の終幕〝玄冬(げんとう)〟も、どういう形で過ごそうか。もしかしたら、また嵐がやって来るかもしれない。しかし私は知っている。私自身を再確認した、魔法の言葉を。
「ありがとう。でも私、音楽部に入ったんです。歌うことが好きやから」

-FIN-

 作成 2016.03


テーマ 『声をかけた、または声をかけられた』をテーマにエッセイを書く。

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