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将来の夢

 子供の頃、引っ込み思案だった私は、友達と遊ぶより、一人で〝空想ごっこ〟をするほうが好きだった。
 空想することは楽しかった。道具は何もいらない。頭の中の異空間を、想像のツバサで一杯にすると、そこは無限に広がる大宇宙となったり、素敵な魔法の国となる。そして、
 ある時は宇宙から来た超能力者、
 ある時は魔法使いの少女、
 と、いろんな人物となって、ヒロイン気分を味わうことができる。
 そんな私の空想のネタ帳は、テレビ番組だった。特に、アニメ番組をよく観ていた。
 私が幼稚園児だった時の、1970年代前半、アニメ番組は数多くあり、私はアニメの中の主人公達に憧れを抱いた。
 中でも私の心を貫いたのは、
≪アタックNO.1≫
 である。この物語は、主人公・鮎原(あゆはら)こずえがバレーボールを通じて、成長していく姿を描いている。友情やチームワークの大切さ、魔球ばりの見事な技、相手を翻弄する作戦。何より主人公の、大きな瞳と黄色いリボンに憧れてやまなかった。
 そう、5歳の時の将来の夢は、迷わず、バレーボールの選手になることだった。
 しかし、現実は甘くない。
 生まれつきの右半身麻痺という足枷が既に、私の自由を奪っていた。夢は夢としてもちつつも、それが決して結実することはないと、子供心に知っていた。だから、〝空想ごっこ〟は楽しかったけれど、その後必ず、現実を確認していた。5歳の時には、冷静に自分の立場を把握していたのだ。
 現在、50歳を前にした自分は、40有余の年月を経て、空想することも少なくなったが、そのかわり、現実を生きることの喜びを知っている。今考えると、5歳の時の自分にはまだ、その喜びが解らなかったから、辛かったと思う。
 それでも空想の中で、可能性一杯の自分に励まされ、現実と戦っていたのだろう。そんな過去の自分を、誇りと思うと同時に、何だか申し訳ない気もするのだ。
 けれども過去の自分は、そんなことは意にも介さず、ただ毎日を一生懸命生きていた。そして、叶わぬ夢と知りながら、卒園文集にはこう書いた。
『おおきくなったら、バレーボールのせんしゅになりたい』
 と。なぜなら、それが本当のことだったからだ。気負いもなく、素直な心で、思いのままを書いたのだ。
≪アタックNO.1≫が好きだった。
 バレーボールがしたかった。

-FIN-

 作成 2015.09


テーマ「このテレビ(ラジオも可)が好きだった」をテーマにエッセイを書く。

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