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 月の光が、海の色をまばゆい群青色に染めている。その長く続く美しい砂浜に、史帆(しほ)は腰を下ろし、のんびりと空を見上げた。
「あ、白鳥座。すると……あれが〝夏の大三角形〟じゃね」
 と、誰にともなく言った。

 しかし、史帆を取り巻く状況は、決して好ましくなかった。大学の友人達と、釣りに来ていた史帆は、岩場から足を踏み外し、外海に投げ出され、どうやら無人島に流れ着いたらしいのだ。
 史帆は横にある、飲料水の入ったポリタンクを見て、恋人の康彦(やすひこ)を思い出した。海に落ちた時、このポリタンクを、とっさに放り投げてくれた康彦。
 
(きっと心配しよるよね)
 史帆はため息をついた。
 と、その時、何かの気配を感じ、はっ、として仲合いを見ると、光り輝く球体がぽくりと浮かび上がった。
「え!? 何? ぬらりひょん?」
 ぬらりひょんは、史帆の郷里岡山県では、妖怪の一種、海坊主として伝承されている。
 史帆が我が目を疑っていると、
「ねえ、おねえさん」
 と、耳元で声がした。振り向くと、頭でっかちの体中ぬめぬめとした、五歳ぐらいの男の子が、大きな瞳でこちらを見ている。
 ふいに後退りした史帆だったが、不思議と恐ろしくはなかった。
「おねえさんは、なんでこんなところにいるの? ここは無人島だよ」
 史帆は、ここまで流された経過を話し、
「けど、君は何をしとるん?」
 と、質問した。話を聞いてみると、この幼いぬらりひょんは、まだ泳げないという。毎晩ここで、泳ぎの練習をするのだそうだ。
 史帆は少し考えてから、
「私(うち)が泳ぐの、教(おせ)ぇてあげるけん」
 と言った。妖怪、それも海坊主のぬらりひょんに、クロールや平泳ぎもないかな、とは思ったが、バンザイをして跳ね回っている、この小さな妖怪を見ると、史帆も嬉しかった。
 
 月の光が、泳ぎの練習に熱の入る二人を照らし、その姿を追った。
 
 ときに一瞬、泳ぐ二人の影が消えた。激しい海風が吹き、凪いでいた海は時化(しけ)り、墨壺をひっくり返したような色に変わっていく。
 どこからか、〝グォーングォーン〟と、不気味な音まで響いてきた。
「お父さんだ!」
 男の子が嬉しそうに叫んだ。史帆が目を凝らして見ると、ガスタンクを思わせる巨大な球体が、海面から現れ、黒瑪瑙(くろめのう)のような眼(まなこ)を、ギラリ、と妖しく光らせた。
 ゴクン。史帆は唾を呑み込んだ。
「もう帰らなきゃ。おねえさん、ありがとう。お礼に、助かるようにしてあげる」
 そう言うと、小さなぬらりひょんは、父親と一緒に、海の彼方へと消えていった。
 
 気が付くと、辺りが白んでいる。しばらくして、遠くの沖の方から、
「おぉーい、大丈夫かあ」
 という康彦の声が聞こえてきた。救助の船が来たのだ。
(助かる、ちゅうんは本当やったんじゃね。ふふっ、昨夜(ゆうべ)のことは内緒やけん。けど、皆にはまず、謝らにゃおえんね)
 そんなことを考えながら、史帆は近づいて来る船に、大きく手を振った。

-FIN-

作成 2010.06


テーマ『無人島に流れ着いた』登場人物を主人公にフィクションを創る。

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