top of page

龍神の嫁

 その昔、京都西陣(にしじん)のはずれにある金五郎(きんごろう)長屋に、染色職人の正吉(しょうきち)と、妻のお藤(ふじ)が住んでいた。二人には、おそめという美しく気立てのよい十八になる一人娘がいる。正吉とお藤は、この自慢の娘の嫁ぎ先を、真剣に考えていた。

 ある年の夏、京都では日照りが続き、人々は暑さで体を壊し、死人まで出ていた。
 金五郎長屋も例外ではなく、大家の金五郎や、由造(よしぞう)・お留(とめ)夫婦の三歳の息子、竹造(たけぞう)も、暑気あたりに苦しんでいた。
 辺り一帯の井戸が枯れてしまい、正吉は、きれいな水で糸を染めることが出来なくなった。頭を抱える正吉に、お藤もため息をつくばかりであった。
 
 そんな皆の姿を見ていたおそめは、願を掛けに、長屋の近くにある〈西陣聖天(にしじんしょうてん)〉に参りに行った。
 門をくぐり、境内を進むと、そこにも井戸があったが、やはり枯れている。本堂の前で、おそめは願った。
(皆の病が早くよくなりますように。雨が一日も早く降りますように)
 その瞬間、おそめは急に身動きがとれなくなった。そして頭の中に〝声〟が響いた。
 ——娘よ。汝がそれほどに望むなら、我ら龍神が、この土地を日照りから救ってやろう。しかし、それには代価がいる。汝の命だ。その命失くしても、この土地を救いたいか——
 おそめは怖かった。怖くて足が震えたが、皆の困窮を思うと、
「はい」
と答えずにはいられなかった。そして意を決して祈った。
 すると上空から、黒い雲が垂れ込め、おそめの体を包み込んだ。おそめはそのまま意識を失い、永遠の眠りについたのである。
 と、同時に雨が降り出し、西陣の町を潤した。
 
 金五郎長屋では、何カ月ぶりかの雨を喜んだのも束の間、おそめが亡くなったのを知ると、皆、沈痛な面持ちとなった。
 正吉とお藤も、おそめの亡骸を前に、放心状態だった。
 数日後、憔悴しきった二人だったが、それでもおそめの葬式を済ませ、〈西陣聖天〉へ報告に行った。境内にある井戸は、水がこんこんと湧いている。正吉は
(おそめがこの井戸を甦らせたのだ)
 と思った。お藤はこの井戸水を、長屋の皆にふるまうことにした。
 ほどよく冷えたその水を飲むと、金五郎と竹造の暑気あたりも、快方に向かった。
 おそめがいないことを不思議がる竹造に、正吉は、
「おそめは龍神さまのところへ嫁に行った」
と語り、お藤も、
「おそめはもう帰っては来ない。でも幸せに暮らしているよ」
 と、涙ながらに言った。
 長屋の皆はおそめに感謝し、〈西陣聖天〉の井戸を〝染殿の井(そめどののい)〟と呼ぶようになった。
 
 それから〝染殿の井〟は、水が滔々(とうとう)とあふれ、その水で糸を染めると、色鮮やかに染め上がり、正吉をはじめ染色職人が重宝した。
 そして、日照りが続いても決して枯れることはなく、人々の生活を支えたという。

-FIN-

作成 2013.04


テーマ『おもてなし』をテーマにフィクションを創る。

bottom of page