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全てはここから始まった

 私は旅行が好きだ。
 家族で旅行することも多いが、友人との気ままな旅行、ツアーでの国内・海外一人旅、私が所属する童謡・唱歌を歌う会も出演した、日本文化を発表するジャパンフェスティバルへの海外公演旅行、京都市交響楽団の海外公演を観賞するツアーへの参加、等々、旅行してきたその種類は、多岐にわたる。

 私が旅行好きになったのは、ある旅行がきっかけだ。それはそれまでの旅行の価値観を、大きく変えるものだった。
 1986年(昭和61年)、20歳の記念に、ということで、7月下旬に夜間大学の友人とふたり、二泊三日の沖縄旅行をした。
 那覇空港に降り立ち、タクシーで宿泊先のホテルへと向かう途中、その運転手さんが
「もしよかったら、明日、北部から南部まで沖縄本島を案内しようか」
 と言ってきた。一人8000円。断ることもできたが、自分たちで観光するより、効率良く廻ってくれるなら、と了承した。
 
 次の日、運転手さんは、かりゆしウェアを着て笑顔で私達を迎えてくれた。真っ黒に日焼けした逞しい腕が、印象的だった。
 観光は、北部から中部を廻って、最後に南部へ。そこで運転手さんが、
「守礼門や玉泉洞もいいけど、君たちに是非、見てもらいたい所がある」
 と、強い口調で言った。それまで優しく接してくれていたから、私たちはドキッ、とした。
 そこには一枚の壁があった。
 旧海軍司令部壕。米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地である。
 施設の中に入ると、じめっとした壕が姿を現し、いくつかの部屋に分かれているうちの一つに、幕僚室があった。ここの壁を見た瞬間、思わず手を伸ばし、触っていた。
 ぬめっとした壁は、血飛沫の跡とでこぼこした手榴弾の破片が、くっきり残っている。たった40年程前に、ここ沖縄で先の見えない戦いを続けていたのだ。この息苦しい壕でも、大勢の若者が命を落としただろう。血の臭いが鼻を刺激し、指先が震えた。
 沖縄には、現在も語り継いでいかなければならない歴史がある、と強く思った。
 運転手さんが何故、この壕を案内してくれたのか、詳しくはわからない。けれど私達は、その思いをしっかりと受け止めた。
 
 私にとってこの旅行は、それから先の旅行の原点となり、五感を使い、歴史を学ぶ大切さを知るものとなった。
 30数年経った今でも、旅行する時には、歴史書片手に準備する。第二、第三の“一枚の壁”を求めて。
 さぁ、次はどこへ行こうか。心は逸る。


 (完)

 作成 2020.06


“この一枚”をテーマにエッセイを書く。

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