2021年、新しい年が明けた。今年55歳になる私にとって、アラウンド還暦の年代は、とても楽しみな年代だ。
だがその前に、大きな壁が立ち塞がった。
新型コロナウイルスである。
昨年2020年は、このコロナの感染拡大により、世界中の人々が大勢亡くなったり、パニックに陥ったり、行動範囲を狭められたりと、大変な一年となった。
私の場合は基礎疾患があるため、まずコロナを正しく恐れる必要があった。手洗い、うがいはもちろんのこと、京都市北区から京都府長岡京市迄の、片道1時間半の通勤では、マスクを二重に付けてみたり、出来るだけ空いている車両に乗ったりと、工夫していた。
それに加えて家族3人で週1回はしていた外食をほぼ中止し、高校時代からの友人達との会食も無期延期、リモートで会うことにするなど、外へ出掛けることを極力減らした。
とはいえ、我慢の年というよりは、積極的に耐え忍んだ年だった。
そんな2020年を過ごしてきて、今年2021年への思いは高まるばかりだ。
世界的にはワクチン接種での、新型コロナウイルスの感染が収束することを願っている。と同時に、日本に於いては、医療崩壊が起こる前に一日も早く、抗ウイルス薬が発明されることを祈っている。
個人的には、今年は深く、慎ましく、穏やかに暮らしたいと思っている。
私は今まで親の庇護のもと、独身で割と好き勝手に生きてきた。脳梗塞、てんかん、右半身麻痺などを患い、人生の中で、自分の思い通りにならないことも多々あるが、そういうことは誰もがそれぞれにあると思う。私もそれを除けば、本当に自由に生きてきた。
だからこそ、このコロナ禍では贅沢せずに、慎ましく暮らそう、と考えている。その代わり、精神的には豊かでありたい、と思う。
その中で少し考えが変わった、というのか、心境の変化があった自分に気付いた。
以前は、好きなことを趣味として続けるのが、豊かな心を育てると思っていた。
それが、日常が非日常となったコロナ禍の一年を過ごしてきて、見えてきたものがある。
例えるなら、水墨画や侘び寂びのように、静寂(しじま)の中に、奥深いものを自ずと感じることもまた、心を豊かにし、それらがそこに在るだけで幸せなのだ。
好きな音楽を心地良く聴き、美しい絵画を素晴らしいと感じる心。いつかは枯山水を観て、真の穏やかさを覚えたい。
私としては大きな一歩である。55歳、今年は深く、慎ましく、穏やかに、これまでとは違う暮らしが始まろうとしている。
-FIN-
作成 2021.02
2021年に向けての気持ちを漢字1字または2字で表し、一編のエッセイを書く。