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虹をわたって

 風薫る5月、新緑が眩しい季節だというのに、今日は生憎の雨。しかも週始まりの月曜日。紫雨子[しうこ]は朝から憂鬱だった。
 
 その日の下校途中、紫雨子は新しい美容室が出来ているのを見つけた。
(私も髪、切ろうかな)
 紫雨子の髪はストレートで、腰の辺りまで伸びたきれいな黒髪である。だが気分を変えてみるのも悪くない、そう思った。
「ねえ君、カットモデルやってみない?」
 背後からの男性の声に、紫雨子は思わずビクン、と体を震わせた。

「ごめん、ごめん。びっくりさせて」
 紫雨子が振り向くと、30代前半と思われる彼は、爽やかな笑顔を向けていた。
「君、北高の学生さんだよね。カットモデル、引き受けてくれないかな?」
 紫雨子はまじまじと彼を見つめた。
(えっ、でも……、でも、やってみたい……)
 いつもあと一歩のところで、勇気が出ない紫雨子。恥ずかしくて固まっていると、
「キュートな感じもいいと思うんだけどな」
 紫雨子の胸にキュンときた一言は、新しい世界の予感を与え、彼に続き美容室に入った。
 
 小さな店内は、かすかにアロマの甘い香りがした。BGMのジャズも心地良い。
「僕は4月からこの美容室をしている、澤口陽介[さわぐちようすけ]
。よろしく。君の名前は?」
「宮野紫雨子[みやのしうこ]、高一、です、あの、よろしくお願いします」
 と、鏡越しに挨拶を交わした。
「紫雨子ちゃん、思い切ってショートにしてみない? きっと似合うと思うよ」
 髪を切ろうとしていた紫雨子は、頷いた。
 ザクッザクッ、チョキチョキ、
 パサッパサッ、シャキシャキ、
 長かった髪は見事ショートボブとなった。
 えっ? 今までと全然印象が違う。紫雨子は自分に驚いた。
「やっぱりショートも似合うね。凄くいい!」
「有難う。カット代おいくらですか?」
「いや、これはカットモデルだから。いいよ」
「そうはいきません、お支払いします」
 ムキになる紫雨子を相手に陽介は提案した。
「じゃあこうしよう。このお礼に、店の横にある自販機の缶コーヒー1本でどう?」
 陽介は、床に散った紫雨子の切った髪を掃き集めながら言った。
「はい!」
 そういう紫雨子の声も心も弾んだ。
 
 二人して美容室を出ると、朝からの雨が止み、見上げると空に虹が掛かっている。
(この人は虹をわたって、私の元へやって来てくれたんだわ。ふふっ、ちょっと年の差はありだけど)
 紫雨子は、晴れやかな表情の自分に気付き、隣にいる陽介ににっこりと微笑んだ。

-完-

作成 2021.05


テーマ 『転』で指定のシーンを入れフィクションを作る。
[指定のシーン]
「私が払う」「いえここは私が」と二人が揉めるシーン

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