私は、生まれてから53年間、京都市に住んでいるので、日々新鮮な魚を、というわけにはいかないが、考えてみれば、魚の中では特に、眼張(メバル・鮴とも書く)が好きだと言えると思う。
春告魚と呼ばれるこの魚は、産卵前の、立春から3月にかけてが、一番美味しい季節である。煮付けはもちろん、鮮度が良ければ、刺身にもできる。
私は、その眼張の煮付けの味に、母や、母方の祖母を思い出すのだ。
私が小学生の頃、私達家族四人が、母の実家の広島へ行くたび、祖母は鯛や平目、蛸、眼張などの刺身を用意してくれていた。
母の実家は瀬戸内で、魚が新鮮で美味しいことで知られている。
夕食の豪勢な食卓の隣で、祖母は、私達が食べた刺身の残りの粗(あら)を食べていた。
うす暗い納戸で、一人で、食べていた。
「おばあちゃん、皆と一緒に食べようよ」
幼い私がそう言うと、
「ええよ、ええよ。きっこちゃん達はあっちで食べんさい」
と、祖母は優しく笑った。
その時の祖母の食べていた眼張の粗の煮付けが、すごく美味しそうに見えた。
それは多分、祖母がとても丁寧に、大事に、その煮付けを食べていたからだと思う。
私は今も、その時の祖母の姿が忘れられない。食べ物を大切に扱う心。命に対しての感謝の心。それらを教わった気がする。
長井家の夕食も、母の生きていた頃は、週の半分は魚料理だった。煮付け、焼き魚、刺身と、私は箸の使い方に悪戦苦闘しながらも、それらに舌鼓を打っていた。
しかし、昨年2019年3月に母が亡くなったことで、長井家の食卓に魚が並ぶのが、極端に少なくなった。
最近の食事当番は父である。実のところ父は魚が苦手で、魚料理は週一回、水曜日の夕食のみとなってしまった。その理由は、近所のスーパーでポイントが5倍になるのが、水曜日だからだ。まったく、魚の旬も鮮度もあったものではない(笑)
これからは毎年、母が亡くなった3月は、春を寂しく感じるとともに、眼張を見つけては、母と祖母の姿や味を思い出すだろう。
今年の母の一周忌には、供養を兼ねて眼張の煮付けに挑戦してみようか。
けれどもそれを想像するだけで、母の心配そうな顔が見える。あまり料理はしてこなかったからなぁ、私。
早春の、ほんのり暖かい日差しが待ち遠しい1月末に私は、春告魚が母の匂いを乗せて店先に並ぶのを、心待ちにしている。
-FIN-
作成 2020.02
魚or魚料理をテーマにエッセイを書く。