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僕は満月の夜に涙する

 ここは都会の片隅、路地裏あたり。ビル風が吹く隙間に、眩しい光が差し込んでくる。人々は、誰もが他人と、素っ気ない態度で通り過ぎてゆく。
 そんな街に3ヶ月もの間、一匹の狼が群れからはぐれて、彷徨っていた。何故、一匹でいるのか、この場所にいるのか、その狼自身にもわからない。
 
 この3ヶ月、口にしたのは人間の残飯だった。この街の人間が残飯をめぐって争う時、その抗争を尻目に、それをもぎ取ってきた。
(疲れた。ただ生きる為だけの食事に、何の意味がある。本当は何をすべきなのだろう)
 狼は考えた。だが考えること自体、正しいことなのだろうか。狼は孤独だった。
 
 満月の夜になると、狼は川岸へ来る。落ち着いて考えるには、満月の日が良いのだ。
 しかし、考えがまとまる訳ではない。狼は今日も満月を見上げて、ため息をついた。
 その時、静寂を破って、人の叫び声がした。
「あの子を助けて! 川へ落ちたの!!」
 見ると、叫ぶ母親らしき女性の視線の先に、川へ落ちた小さな女の子が、手足をバタつかせている。
 狼は既に動いていた。“バッシャーン”
 狼は川へ飛び込み、女の子を拾い上げる。川を渡る狼の大きな背中に、女の子は安堵の表情を浮かべた。それを見た狼は、無意識のうちに、彼女に語りかけていた。
「もう大丈夫だ」
「狼さん、話せるの? うん、助けてくれてありがとう」
 狼の言葉が、女の子の耳に届いたのだ。
「もう川に近づくな。母親に心配かけるなよ」
「狼さんは大(お)っきくて、安心する。私のお父さんみたい」
 女の子に言われて、狼はハッ、となった。
(そうだ! 僕はこの子の父親だ! あそこにいる母親は僕の妻だ。ああ、何故こんな姿になったんだ。戻してくれ、元の姿に!)
 思いをめぐらすと、頭の中に声が響いた。
――思い出しましたか。あなたは人間だった頃、家庭を顧みない人でした。一匹狼を気取るあなたの願いを、私は叶えたのです――
 それは神か悪魔か。
 狼は月の光に包まれた。心が洗われていくように、今までの自分を後悔した。
 誰にはばかることなく、涙した。
 
 狼の異変に気づいた女の子が、狼をそっと抱き寄せると、狼はその小さな腕の中で、元の姿に戻っていった。
 頭の中にまたあの声が響く。
――今の気持ちを忘れずにいなさい。狼として過ごした日々は、これからのあなたに必要でした。人生をやり直すのです――
 その夜、生まれ変わった彼は、彼の家族と共に、新しい人生の一歩を踏み出した。


 (完)

作成 2020.5


テーマ 意外な登場物を主人公にフィクションを創る。

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