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『シェムリアップ発、裕貴(ひろたか)へ』

 その絵はがきは、2ヶ月前の消印だった。
 抜けるような青空と、アンコールワット遺跡のコントラストが印象的な、親友・橘翔平(たちばなしょうへい)からの便りだった。
 
 水野裕貴(みずのひろたか)と橘翔平は、幼稚園の頃からの幼馴染みである。高校まで同じサッカー部に所属し、〈目指せ国立競技場!〉を合言葉に、毎日汗を流したふたりだった。裕貴は大学でサッカーを続けたが、翔平は契約社員として働きながら、世界中を旅する道を選んだ。
 翔平からの絵はがきは、今年1月に書かれたものだと思われた。だが届いたのは今、3月も半ばである。裕貴は胸さわぎを覚えた。
「翔平に何かあったのか……?」

 4月、裕貴は大学4年になった。卒業したら教師になろう、と出身高校のグラウンドで決意を新たにしていると、前方に、どこかで見た姿がある。
「……! 翔平!」
 それは確かに翔平だった。
 しかし服はボロボロ、髪はボサボサ、とてもあのおしゃれ好きな翔平には見えない。しかも何故に今、翔平はここにいるのか。
「翔平、俺だ、裕貴だよ、分かるか?」
「え、ヒロタカ……?」
 目の焦点が合わず、頼りなげな翔平。心ここにあらず、といった感じだった。
 裕貴は翔平を病院へ連れて行き、診断してもらうと、いわゆる“記憶喪失”だった。
 翔平は裕貴のことを、いや、自分のことさえも覚えていなかったのだ。
「君が僕のことを知っているのなら、教えてくれないか」
 翔平の頼みに裕貴は、あの絵はがきを見せることにした。
「これがお前の異変を、知らせてくれたんだ」
 絵はがきを見た翔平は、ズキン、と頭に激痛が走り、その場にへたり込んでしまった。
「翔平、大丈夫か? とにかく落ち着け。ゆっくり思い出していこう」

 それから裕貴は、翔平と出身高校のグラウンドに戻り、長い長い話をした。
 ふたりは幼馴染みで、高校まで一緒に通っていたこと。共にサッカーが大好きなこと。初恋の話で盛り上がった時のこと。
 話を聞くうちに、翔平は和らいだ表情の中にも、ある思いに突き動かされる。
(絶対に思い出すんだ。隣にいる彼のことも)
 そして裕貴もまた、心に誓っていた。
(翔平の記憶を取り戻すんだ。あの明るかった翔平に戻ってもらう為に)
 グラウンドに夕日が沈みかけている。ふたりの決心に呼応するように、二つの影法師がくっきりと映っている。その内には、裕貴の持つ絵はがきが、夕陽を受けて光っていた。

-FIN-
 ※ シェムリアップ…アンコール遺跡群の観光拠点

作成 2019.03


テーマ “大事なものを忘れてきた人”を登場させてフィクションを創る。

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