私は今年2014年現在、京都の太秦天神川(うずまさてんじんがわ)にある障害者の作業所で、週三日、ミシンを掛けている。
トートバッグ、巾着、ファスナーポーチ。
一枚の生地から、形あるものになった時の感動は、作っている者の醍醐味だ。
作業所に通い始めて3年半が経つが、15年勤めてきた事務職からの転向に、最初は戸惑うことも多かった。
職業用ミシンを、右半身麻痺の私が扱えるかどうかも分からなかったし、正直言って恐かった。40代半ばで今さらミシンなんて、という思いもあった。
けれど“為せば成る”“習うより慣れろ”の精神で、職業指導員の先生の下、左手でミシン本体を操作し、左足でフットコントローラーを踏む。
そして、手作りの品を作成したり、洋服のリフォームなどを手掛けている。
そんな今日この頃、ふと思い出すことがある。中学2年の3学期、家庭科の授業で、長袖のパジャマを作った時のことだ。
それは、各自好きな生地を買い、パジャマを縫う課題だったのだが、私は生地選びから失敗した。初めてのパジャマ作りにもかかわらず、白いうさぎが一列となって、格子模様の中に並んでいる柄を選んでしまったのだ。
裁断の時は、出来上がりの方向を考えねばならず、縫製の時は、柄と柄とがずれないようにしなければならなかった。
しかも地色はあずき色、地味なことこの上ないのである。
皆は、明るい色の無地や全体が花柄などの生地で、スイスイと作業を進めていく。
私は自分の考えのなさを呪ったが、どう考えても、私の頭に花柄は思い浮かばなかったに違いない。
結果、柄のあるパジャマの作り方として、皆の手本となるように、大方を先生に作ってもらった形となった。
当然、出来上がったパジャマは巧く仕上がっていて、綿100%の肌触りもよく、二、三度は着用した。
けれど私は釈然とせず、その後、タンスの引き出しの中に、それを隠すようにしまい込んだのだった。
あの時の思いを、今、振り返ってみると、やはり、自分で作れなかったという、後悔だったと思う。少々縫い目がゆがんでいても、仮に出来上がらなかったとしても、自分が作った、と思えたなら、納得できたかも知れない。今は、あのパジャマに、謝りたい気持ちで一杯だ。
(私が作らなくてごめんね)
と。
そう思うのは、現在、京都市右京区役所で催される、福祉屋台で売る商品を作成するまでになり、自信も芽生えてきたからだ。
もの作りに対して、成長しているのだとも思う。その心を素直に喜び、感謝したい。
これからも、自分の手で、作製していこう。
私は、あの時の後悔した思いを忘れずに、今日もミシンを掛ける。
そんな今の私を、きっとどこかで、あのパジャマの白うさぎ達がにっこり微笑みながら、見守ってくれているだろう。
-FIN-
作成 2014.04
テーマ『思い出の服』をテーマにエッセイを書く。