起死回生のクリーンヒット
彼は、いつの間にか私の心の側にいた。大人しくて控え目な彼は、感情を表に出すことも少なくて、いつも物静かに笑っている。その笑顔がなんとなく寂しそうで、私は彼のことが気になって仕方がなかった。
(彼の明るい笑顔を見てみたい!)
それが私の目標となった。今から三年前のことである。
彼は、京都市内にある、私と同じ障害者作業所で、パソコン業務にあたっている。彼の技能はとても優秀で、アビリンピック京都大会(※注1)の、ホームページ作成部門に於いて、過去に金賞を受賞している。私も彼に負けないように、ミシンの仕事を頑張っているのだ。
そんな彼とは、作業所の利用曜日の違いから、週一回しか顔を合わせられない。仕事中はお互い壁に向かって集中しているから、話すチャンスは昼休みか休憩時間だ。
しかも、彼は平成生まれの二十五歳。私は彼の倍ほどの人生を歩んできているのに、彼に話すべき言葉を探せないでいる。
(本当の親子ならまだしも、こっちはただのオバサンだからなぁ)
天気の話、住まいの話、通所経路の話。どれもしっくりいかず、途方に暮れた。
だが一年前の五月、突然、頭の中で中島みゆきの〝タクシードライバー〟が鳴りだした。
♪タクシードライバー 苦労人とみえて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も繰り返す
(これだ!)
そう〝野球〟だ。男の人なら、野球観戦ぐらいするのではないか。安易な考え方だが、当たって砕けろ、である。彼に、
「昨日、阪神負けちゃったね」
と、話しかけると、彼は途端に頬を紅潮させ、大きな瞳をキラキラさせてこう言った。
「今年は、能見(のうみ)投手の調子が悪いデス」
え? 彼から阪神の選手名まで聞けるなんて!! よくよく聞いてみると、彼は野球が大好きで、特にパ・リーグのファンだという。私はここぞとばかり、自分の野球知識をフル回転させて、彼の話についていこうとしたが、無理にも程があった(笑)
それからというもの私は、プロ野球選手の名鑑は買うわ、日頃は見ないパ・リーグの試合をテレビ観戦するわで、大忙しなのである。
それでも今も彼から、
「喜久子サン、それは違いマス」
と、指摘を受けている(笑)
けれど、その時に見せる彼のはにかんだ笑顔が、なにより眩しくて、私はとても幸せな気分になる。
彼は、普段はまるで夜の静寂(しじま)のようだ。
しかし心の中にはきっと、明るい太陽が照っているはず。
私はそんな彼の心を映し出す、鏡のような存在となりたい、と思っている。
さぁ、次は何の話をしようか。その時彼は、そんな表情を見せてくれるだろうか。
追悼…彼は二〇一六年九月七日、
二十六歳の若さで夭逝されました。
生前の彼の笑顔を思い出します。
「優しい時間をありがとう。
君のこと、忘れないよ」
(※注1)アビリンピック=全国障碍者技能競技大会。
-FIN-
作成 2015.05
テーマ 「笑顔」をテーマにエッセイを書く。