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マツバボタンは恋の花

 その年の立秋を迎えた頃、桜井雅也(さくらいまさや)の元に、一通の案内状が届いた。高校三年のクラス同窓会で、古希の祝いも兼ねているという。

 雅也は、五年前に妻を病で亡くし、今は三人の子供達とも、疎遠になっている。一人暮らしの毎日は、それまでとは違い、何のために生きているのか、分からなくなる時もある。
 雅也はこの案内状が、平凡な毎日に変化をもたらしてくれる、と思った。
 
 秋も深まった日曜日の同窓会は盛況だった。
 しかし、鉄工所の職人である雅也にとって、少し場違いにも思えた。男性陣は皆、スーツに立派な腕時計をしていたからだ。雅也は外出するからといって、ネクタイなど締めたことがない。何もしていないのに、ばつが悪かった。
 目を移すと、向こうに女性陣がいる。その中に着物姿の女性がいた。彼女は高校時代、ストレートのロングヘアで、大きなリボンが印象的だった。笑うと、頬の左側だけにえくぼが出来るのだ。雅也は懐かしくなり、思わずその女性に声を掛けた。
「久し振り。元気だったかい?」
「あら、桜井君。お久し振り。ええ、お陰様で。桜井君も元気だった?」
(そうだ、彼女、彼女の名前は……!)
 雅也はあろうことか、彼女の名前を忘れてしまっていた。名札も無ければ、誰かが用意してきた卒業アルバムを、今さら見るわけにもいかない。
「桜井君、学生の頃と変わらないわね。覚えてる? 高三の時の学園祭」
 雅也は、高校生活最後の学園祭、キャンプファイヤーで彼女と手をつなぎ、踊った。彼女に少なからず好意を寄せていた雅也は、思いがはち切れんばかりで、手が震えていた。
 そんな彼女の名前が思い出せない。雅也は口を開こうにも、彼女の名前が思い浮かばないことに焦り、言葉にならなかった。
 
 ふと彼女の姿を見て、彼女の締めている帯の柄が、可憐な花模様だと気付き、
「その花、可愛い花だね」
 と、雅也は話題を変えた。すると彼女は、
「ふふっ。これ、松葉牡丹よ」
 と笑った。雅也の脳裏に電流が走った。
(マツバボタン——!! 彼女の愛称(ニックネーム)だ。彼女と話をしたくて、僕がそう呼んだんだ)
 雅也が思い出すと、彼女はにこやかに、
「松葉富貴子(まつばふきこ)です。マツバボタン、と桜井君が名付けたのよ。私、とっても気に入っていたの。今は杉村(すぎむら)富貴子です」
 と言い、二人の会話も弾んだ。
 雅也は、彼女が高校時代を謳歌し、その中に雅也の存在もあったことが、嬉しかった。
 黄金色に染まる銀杏並木道の中を、雅也はさわやかな表情で、軽やかに帰路についた。

-FIN-

作成 2018.9


テーマ 川柳からイマージを膨らませフィクションを創る。
設定川柳 ;『久しぶり! 聞くに聞けない 君の名は』

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