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つっぱり姉さん五人組

 過ぎし日、小学生から中学生の頃、私は消極的で、教室のどこにいるかも分からない生徒だった。いつもおどおどしていて、下を向いていた気がする。
 
 昭和56年(1981年)4月、私は、京都市嘉楽(からく)中学校三年生に進級した。
 その年の6月下旬に、修学旅行があるということで、5月に班分けがあった。
 3年1組の女生徒は19人。
 先生としては、6.6.7と分かれてほしかったのだろうが、そうは問屋が卸さない。案の定、5.6.8と別れてしまった。
 私は8人グループの中にいた。嫌な予感。気になる5人グループ。その面々の顔を、ちらっ、と見てみた。
(あ、つっぱり姉さん達が集まってる)
 少し間をおいて、年配の男性副担任が、
「長井さん、すまんが、あっちの5人グループに入ってくれんかな」
 と、私に言った。
(何故に私? 嫌な予感、当たっちゃった)
 確かにちょっと恐かった(笑)。けれど、何だかワクワクもした。スカートはロング丈、髪の毛は茶髪で、ゆるいパーマをかけている、つっぱり姉さん達。彼女達は、私のことをどう扱うのだろう、と興味は尽きなかった。
 
 6月21日、京都を出発。
 何を間違えたか、梅雨の真っ只中に、蓼科、富士山五合目、元箱根、という二泊三日の行程だった。雨が降らない理由(わけ)がない。
「そやし言うたんや。こんな時期はあかんて」
「誰か、雨女か雨男がいるんと違う?」
 姉さん達は、不満を洩らす。
「長井さんも、そう思うやろ?」
 突然の質問に、思わず答えていた。
「この時期に決めたのは、誰ですかね」
 普通に考えれば、校長である。私は、校長が雨男だからダメだ、と言ったことになる。
「へぇーー、長井さんて、面白い」
"明るい"を通り越して、"面白い"と言われるなんて。つかみはO、k、かな?
 新幹線の中も、観光バスの中も、食事の時も、いつも6人一緒。就寝前恒例の、女の子の内緒話や、枕投げも経験した。
 
 三日間、彼女達といて分かったことは、彼女達はとても繊細で優しく、人の話をよく聞いてくれる、ということだった。
 私は、私のままでいれば、彼女達が私の笑顔を引き出してくれる。帰り際、
「長井さんて、こんなに明るい人やったんや」
 と、言われた。私もそう思う。この修学旅行で、私は何かがはじけるのを感じた。
"笑顔でいよう"
 毎年、梅雨時になると、笑顔の大切さを教えてくれた、つっぱり姉さん五人組のことを、今も懐かしく思い出す。

-FIN-

 作成 2018.08


"泊まる"をテーマにエッセイを書く。

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