平成31年(2019年)3月12日に、母が76年の生涯を閉じました。
病気療養中でしたが、その死はあまりにも突然で、遺された父、私、弟の三人は、言葉もなく、涙も出てきません。
しかし周りは、平然と動いています。私達家族は、ある特別な空間に押しやられ、そこだけ時が止まったかのように、立ちすくんでいます。母への思いを巡らせ、偲び、佇むこともまた、必要なことですが、それでもいつかは、立ち上がらなくてはならない、とそれぞれが解っているのです。
母は、昭和17年(1942年)に広島で生まれ、中学卒業と同時に、就職のため京都へ。そこで父と知り合い、結婚。
60年近く、西陣織の織手さんとして働いてきました。
母は着物が好きで、出掛ける時はいつも着物でした。私と二人一緒に着物を着て、北野をどりや、歌舞伎なども観に行きました。
また、花を育てることが好きで、特に薔薇の花をきれいに咲かせるのが、上手でした。
歌も好きで、ママさんコーラスに入っていました。活動期間が短かったのは、悔やまれますが、本当に楽しそうでした。
気の強いところもありましたが、温厚で、誰にでも優しく、人の悪口は一切言わない、上品で素敵な人でした。
そんな母は、私が身体障害、弟が知的障害をもって生まれてきたことを、生涯、気にしていました。私も恨んだ時期はありますが、今は、母の子供で良かったと、本当に心から感謝しています。
思えば私達姉弟は、母に心配のかけどおしでした。それが親だよ、とも言われますが、母に何の恩返しもできませんでした。
そして、
もっと母と着物を着て出掛けたかった。
もっと母の育てた花を愛でたかった。
もっと母の歌声を聴きたかった。
もっと母と楽しいお喋りをしたかった。
もっと……。
けれど今、母の写真に向かって語りかけるのみです。ですがきっと母は、私達家族を見守ってくれているはずです。これからも健康で仲良く暮らすことが、一番だと思います。
しばらくは、虚しい日々が続くのでしょうが、母に安心してもらうためにも、家族三人、力を合わせて生きていきます。
「お母さん、見ててね」
-FIN-
作成 2019.04
"平成を振り返って"をテーマにエッセイを書く。