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(すもも)色の時間

 夕暮れになると、一人の少女がこの丘にやってくる。佐藤(さとう)すず、16歳。大伴家持(おおとものやかもち)(※1)の歌に出てくるような、愛くるしい娘だ。
「あのね、今日もあの男性(ひと)に会えたの」
 私は李の木の精霊。今四月に、薄桃色の花を咲かせ、この丘に佇んでいる。
「でも、このカードは渡せなかった」

 すずは二週間前、高校の入学式へ行く途中、自転車と接触事故を起こした。その時すずを助けたのが、24歳の会社員、川島亨(かわしまとおる)だ。
「片思いだから……」
 すずは俯いた。手には濃いピンク色のメッセージカードを持っている。
 カードの裏に"THANK YOU"とあるが、中には何も書かれていなかった。
(よし、私が力になろう)
 私は精霊だ。自分を実体化することが出来る。亨にすずのカードを手渡し、何も書かれていないが、すずの思いを言葉にして、浮かび上がらせよう。
 
 私は会社員に変身し、この間の事故のお礼を言いたいと、亨を呼び出した。
 精悍な顔立ち、スラっとした体つき、明るい笑顔。すずが選んだ男が目の前にいる。
 ……。妙な苛立ちを覚えた。
「すずさんのお父さんですか?」
 亨が私を見て尋ねてきた。私は首を横に振って、カードを差し出した。
「すずの言葉がここにある。大事にな」
 何も書かれていないカードを手にした亨は、それをじっと見つめた。すずの思いが、言葉となって浮かび上がるのを見て、私は立ち去った。
『川島亨さま
 あなたが好きです。
 ありがとうの言葉よりも先に。
 私の言葉が風に乗って、
 あなたの元まで届きますように。
             佐藤すず』

 数日後、この丘が李色に染まる夕刻、精霊に戻った私に、すずが語った。
「今日、あの男性(ひと)に会うと、私のピンク色のカードを持っているの。私、渡してないのに、不思議でしょう。でね、お友達になりませんかって言われたのよ」
 屈託なく笑うすずを見て、私は嬉しかった。だが、二度と人間には関わるまい。
『春の苑 紅にほふ桃の花
 下照る道に 出で立つをとめ』(※2)
 大伴家持の歌が思い出される。
 すずを守るのは、ずっと私だと思っていた。
 けれど私の役目は終わったのだね。すず、私は君に恋していたよ。今頃分かった……、さようなら、すず……。

(※1) 大伴家持;奈良時代の貴族・歌人。万葉集の編纂者と言われている。
(※2)[大意]春の庭園に、桃の花が日の光に照らされて、紅に輝いている。その花の桃色の光が、降り注ぐ下の道に、ふと立ち現れた少女よ。

-FIN-

作成 2018.7


テーマ 自分が選んだメッセージカードを使って、フィクションを創る
設定条件;何も書かれていないメッセージカード。手に取った人が じっと見ていると文字が浮かんでくる。

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