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のこり花火

 8月下旬、海沿いにあるこの街に、夕刻吹く風はひっそりとして、どこか物悲しい。
 文子(ふみこ)は、その風を受けながら、夏に終わった悲しい恋を、思い返していた。
 
 文子は、9歳でこの街に引っ越して来てからずっと、向かいに住む智史(さとし)に、片思いをしている。智史は水泳が得意で、がっちりとした体格だ。普段は眼鏡をかけていて、その奥から覗く眼差しが優しい。だが、文子と智史は7歳違いなので、智史は文子を、妹にしか見ていないようだ。
 小学5年の夏休み、文子は、友達と海へ泳ぎに行き、溺れかけたことがある。大事には至らなかったが、それ以来、文子は海を見るだけで気分が悪くなり、泳ぐことが出来なくなってしまった。
(もう智史お兄ちゃんと、海にもプールにも行けないな……)
 文子は中学校に進学したが、明るかった性格は影を潜め、消極的になっていった。
 
 その夏の朝、智史は、休みに家に籠っている文子を、強引に公園へと連れ出した。
 智史は文子の両手を握り、こう言った。
「文ちゃん、また泳ぎに行こうよ。大丈夫、僕がついているから。海がだめならプールでもいい。一緒に行こう」
 文子は知っている。智史が、大学生になったと同時に、ライフセービングの講習を受けたことを。文子が溺れかけた時、智史はひどく後悔したという。受験だからと、海へ一緒に行かなかったことを悔いていたのだ。
「智史お兄ちゃんが一緒なら、行けるかな。海を見ること、出来るかな」
「出来るよ、きっと。よし、約束」
 こうして指切りをした2人。文子は嬉しかった。智史お兄ちゃんが、私のことを考えてくれている。早く年月(とき)が経てばいいのに。そうすれば、彼の恋人候補にもなれるのに。
 しかし、2人で交わした約束は、果たされなかった。約束をした前日、海で溺れていた女の子を見つけた智史は、救助に入るもそのまま力尽き、還らぬ人となってしまったのだ。
「文ちゃん、もう心配ないよ……」
 という言葉を遺して。
 
 サアッ。風が変わった。花火大会が始まり、打ち上げ花火が連打する。
(智史お兄ちゃん、私、もうすぐお兄ちゃんの歳を追い越してしまうのよ。私、お兄ちゃんのこと、『智史さん』って呼びたかった)
 文子は涙が溢れないように花火を見上げた。
 ポンッ、シュルルルル……
 パアア——ン
 大きな円を描く最後の花火のその音は、なぜか軽く、か弱く、寂しげだった。
 夏がまた、終わりを告げようとしていた。

-FIN-

作成 2017.10


"花火"をテーマにフィクションを創る(作中のどこかに花火の音を入れる)。

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