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星に願いを

……ふう。霧子(きりこ)は帰宅電車の中で、何度目かのため息をついた。
 今日もまた、仕事でミスをした。新入社員ということで、許されることはもうない。ひとつのミスもない、同期の真美(まみ)や梨沙(りさ)と、いつも比べられる霧子だった。
 
 そんな霧子が、このところ立ち寄るパン屋がある。〝ノーザンクロス〟。どこか懐かしくて、レトロな雰囲気のその店には、大きな柱時計と星図があった。
「やあ、いらっしゃい」
 ご主人が迎えてくれた。ここのご主人は、ロマンスグレーの似合う優しいおじ様だ。
「今日は何があったのかな?」
——う。完全に見透かされてる。
「えへへへ。またドジしちゃった」
 霧子は頭をかいた。ご主人はにっこりして頷くだけ。霧子にはそれが嬉しかった。
「今日はクロワッサンを2つ下さい」

〝ノーザンクロス〟が行きつけの店になって数か月。霧子は相変わらず、仕事で怒られながらの毎日だったが、とうとう恐れていた大きなミスをしてしまう。発注ミスだった。
 すぐに上司に謝罪行脚。その後会社に戻って、終業時間まで平謝り。同僚の冷たい視線が突き刺さる。発注の数字は、確かにチェックしたはず。それなのに、どうして?
 帰宅途中、霧子は〝ノーザンクロス〟に足を運び、ご主人に事の顛末を語った。いつものように、ただ黙って頷いたご主人は、
「今日は美味しいレモネードがあるよ」
 と言って、緑色のビンを差し出した。霧子は受け取ろうとして、スルッと手がすべってしまい、ビンが地面に、……落ちて、割れた。
「ああっ! しまった!!」
 霧子は一瞬、ギュッと目を閉じた。遠くで柱時計がボ——ン、と鳴った。
 おそるおそる目を開けると、ビンは霧子の右手にある。霧子は我が目を疑った。
 辺りを見回すと、どんよりとして、空気がゆがんでいるようにも見える。
「大丈夫かい?」
 ご主人の声に我に返った霧子は、狐につままれた感覚のまま、そのレモネードとフルーツサンドを買い、店を出た。
 
 次の日、霧子の周りは慌ただしかった。発注ミスは、真美と梨沙の仕業だと、一部始終を見ていた先輩職員が、告発したのだ。
 その夜、霧子はレモネードのビンを片手に、〝ノーザンクロス〟へと急いだ。今日、自分が汚名をすすげたのは、ご主人のお陰に違いない、と思えたからだ。しかしそこには、人気のない空家があるだけだった。
 霧子は空を仰ぎ、
「ご主人、あなたは何者だったの?」
 と問いかけた。ご主人の笑顔の代わりに、空には、北十字星(ノーザンクロス)が煌々と輝いていた。

-FIN-

作成 2017.08


テーマ 「ああっ、しまった!!」という場面を設けて、フィクションを創る。

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