今年2017年に、51の齢を重ねた私は、未だ独身で、人生をゆったりと謳歌し、両親にとっては、甚だ頼りない娘である。
その両親もまた、共に当年とって75歳となり、二人して既に、こちらの目配り、気配りを必要とする人となってしまった。
特に父は、あれだけ〝地震・雷・火事・親父〟を体現し、甲高い声で話していたのに、最近はしわがれた声でひっそりとしてきた。
寂しいことだが、だからこそ、これからは私がしっかりしないと、と思える今日この頃なのである。
ところがそんな父も、こと息子を相手となると、勝手が違うようだ。
普通、父親と成長した息子というものは、肝心なこと以外(いや肝心なことでさえも)なかなか語らない——、というのが、一般的だと思う。
しかし、私の2つ違いの弟は、知的障害があり、精神年齢は10歳前後だと判定されている。ちょうど、大人に対しての意識が芽生え、反抗期に入る頃だ。
その反抗の仕方は、家族に対して、嫌いな動物に例えることである。ちなみに私は、普段は〝バンビ〟なのだが、突然〝大ブタ!〟となってしまう。
なんとも微笑ましいが、弟は父に、対抗意識があるのか、癇に障るからなのか、父にだけの特別な反抗スタイルがある。
それは『禿育(はげいく)』——つまり〝はげつくり〟である。
「父にハゲをつくるワ」
弟が喜び勇んで、父の頭頂部に肘鉄を食らわす。すると、グリグリと鈍い音がする。
イタイ。
弟の『禿育』が始まったのは、もう30年も前のこと。弟が就職した時からである。やはりストレスがたまっていたのだろう。
家族は、一般就職した弟が、会社でスムーズに働けるように、全面的にバックアップをしてきた。私はそこまで出来なかったが、両親、特に父は、弟の反抗をすべて受け入れていたのである。
30年間、肘鉄を食らい続けた父の髪の毛は、すっかり薄くなり、白くなった。
それでも父は、甘んじて『禿育』を受ける。弟が一生懸命、働いていけるように、生きていけるように。その顔はとても幸せそうだ。それは父と息子の痛い絆なのだ。
私は、うらやましいと思うと同時に、弟にとって、父親という存在がいかに大きいか、ということを痛感する。
将来、私と弟の2人暮らしになった時は、私が弟の反抗を受け入れることになる。今から、心しておきたい。
——でも、『禿育』はやめてね、弟くん。
-FIN-
作成 2017.11
『〇育』の造語をつくり、それをテーマにエッセイを書く。