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遥か愛しの摩天楼

 私の家族は、父、母、私、弟の4人家族。一緒にどこへでも行く、仲良し家族だ。以前はよく、海外旅行もした。その中で、思い出深い出来事がある。それは、10年間にも及んだ旅行計画だった。

 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が勃発した。
 当時私は35歳、会社を退職して2年、その朝はのんびりとワイドショーを見ていた。芸能ニュースが流れていた中、突然画面が切り換わり、ワールドトレードセンターが、爆発炎上する場面が映し出された。午前9時頃だったと記憶している。
 そして思った。これで、家族で行くニューヨーク行きはなくなった、と。
 その日の夕方、会社から帰ってきた弟が、「僕の見たかったツインタワーが、消えてしもうたわ。なんで壊されたんかなあ」
 と、残念そうに言った。

 2歳年下の弟は、知的障害があり、普段は滅多に表情を崩さない。そんな弟が、海外では頬を紅潮させ、現地の人に
「グッ、モーニン!」
 と大きな声で挨拶する。朝食のバイキングが好きで、高層ホテルがお気に入りだ。
 その好みをこちらが汲み取って、旅行計画を立て、旅行会社のツアーを申し込む。
 だがある時、弟がポツッ、と言った。
「僕はニューヨークがいい」
 それは、自分の意見など言ったことのない弟が、初めて口にした要望だった。
「そやな。そしたら今度の海外旅行は、ニューヨークにしよか。2000年やで」
 早速、家族会議をし、段取りを、と思ったがその年はあえなく却下。2000年度(平成12年度)は、町内会長にあたったからだ。翌年2001年1月に祖母が亡くなったため、2002年に行こう、と決めた。弟は指折り数えて、ニューヨーク行きを心待ちにしていた。
——そこへあのテロ事件が起こったのだ。

 それ以後、家族で海外旅行の話をすることは不思議となく、ニューヨーク行きについても立ち消えとなってしまった。
 しかし、8年経った2009年の秋、弟が突然切り出した。
「やっぱりニューヨークに行きたい。そうでないと、僕の人生、終われへんわ」
 これには家族全員がびっくり。それほどまでに行きたかったのかと、改めて弟の強い思いに、衝撃を受けた。
 弟にすれば、いつか行けると信じて待っていたにもかかわらず、誰も何も言わない状況に、自分が何とかしなくては、と思ったのかもしれない。その目で、憧れの美しい摩天楼を見るまでは、諦め切れなかったのだろう。
「分かった。皆でニューヨークに行こう」

 こうして、幾多の困難を乗り越えた私達家族4人は、2010年のゴールデンウィークに、約束のニューヨークの空を飛ぶことが出来たのだった。

-FIN-

 作成 2009.12

加筆・修正  2017.12


『約束』をテーマにエッセイを書く。

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