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成人式準備の落とし穴

私の両親は、京都西陣(にしじん)で帯を織っている。私は、両親が七十三歳になった今も、働き続けていることを尊敬し、西陣という町のことも大好きだ。だが、生涯にただ一度だけ、両親の仕事を恨んだことがある。
 
 今から三十一年前の一九八四年(昭和五十九年)、高三の冬休みのことだった。突然、父と母に呼ばれ、何事か、と居間に行くと、そこには色とりどりの振袖が、所狭しと並べられていた。
 その色彩は、地色には赤やオレンジ、黄色にその頃流行り出した黒などで、柄行には、大輪の菊花や束ね熨斗(のし)、扇面などがあった。
 食い入るように振袖を見ていた私に、父が、
「成人式の振袖や。好きな選び。振袖用の帯も知り合いに頼むさかい
 と、得意げに言った。
「!! ……(ガーン)」
 私は言葉を失った。というのも、私には私なりの〝成人式の準備に対するビジョン〟があったからだ。友達の中には、高校に入学した頃に、成人式の準備をした人達もいたので、聞いてみると、
「百貨店で揃えたよ。七〇万円位かなぁ」
 ということだった。
(は? 七〇万!!)
 そうびっくりしたものの、私はいつ買いに行けるかな、どんな風に選ぼうかな、と心は既に〝百貨店で買う〟ことで頭が一杯だったのだ。
 しかし、である。両親の仕事柄、京都室町(むろまち)の呉服問屋に伝があり、そこから十枚ほど持って来られ、いかが、となっていた。
 しかも、私が選ぶはずが、早くも父と母が、
「黒はちょっとなぁ、赤も奇抜いな」
「オレンジは可愛らしいけど」
 などと、勝手に言い始めているではないか。
 
 私はこれ以上、自分のビジョンを崩されたくなくて、一歩、前に出た。
 そして一枚の振袖を見つけた。
 それは貝紫色の地色に、図柄は御所車を中心にしたものだった。
「これにする」
 半ば自棄(やけ)、半ば諦めの気持ちで、それを父に差し出したが、父と母は、
「あぁ、これはいい」
「上品やね。喜久子は色が白いから、きっと似合うと思うわ」
 と満足そうに、喜んだのを覚えている。
 私は、両親の仕事を恨んだ。私の買い物、私の振袖、私の百貨店。あぁ。
 
 それからというもの、そのことを思うと、胸の奥が痛くなる。
 けれども同時に、振袖を見つめていた両親の顔が忘れられない。娘の成人式を夢みて、準備をしてくれた父と母。
 私はそれで充分だと思った。両親の心尽くしに、感謝するばかりの高三の冬であった。

-FIN-

 作成 2016.01


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