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沈黙の月

 遠い昔、まだ太陽系に生命の源である、水が無かった頃の事。アンドロメダ銀河に位置する惑星ヴァルダは、高度な文明が発達し、人々は豊かに幸せに暮らしていた。
 
 ヴァルダでは王政が敷かれ、代々女王が統治していた。その女王になる資格を得る為に、十六歳になった王女は、一つの課題を与えられた。それは王家に伝わる、水が湧き出る筆を使い、水惑星を誕生させることだった。
 その筆は、長さ約五十センチ、軸は黒曜石で出来ており、真ん中には黄金で、王家の紋章が刻まれている。筆鋒は幻の、白い天馬の毛を束ねて創られているという。
 女王から王女へ、それは儀式と共に手渡され、王女は、宇宙の大海原に一つの星を見出し、宇宙船グラース号の舵を取るのである。
 当代王女マールは、透き通るように白い体を、全身を覆う金色のマントの下に隠し、グラース号の展望台に立っていた。水惑星にする星を、有識者の助言に従って、太陽系の第三惑星と定め、今まさに、グラース号の速度を速めたのだった。
「王女さま、焦ってはだめですよ」
 宇宙船操縦士のフレイが、マールを窘(たしな)めた。
「ええ、分かっているわ、フレイ。でも本当に私に出来るのかしら? 不安だわ」
「きっと出来ますよ、王女さまなら」
 オレンジ色の肌にヘイゼルの瞳を持つ、フレイのにこやかな笑顔に、マールは落ち着きを取り戻した。と同時に、この操縦席にフレイがいてくれてよかった、と思い、そのフレイの横顔が眩しい、とも思った。どぎまぎする心。止まらない動機。王女マールの初々しい恋心であった。
 しばらくしてフレイが、ある星を指さした。
「王女さま、あれが太陽系の第三惑星です」
 マールは息を呑んだ。第三惑星の隣にある第二惑星が、太陽からの距離が近すぎて、完全に〝死の星〟と化していたのだ。
「太陽にも気をつけないと。急ぎましょう」

 マールはグラース号の外へ出ると、両手で筆を握りしめ、横八の字に大きく振り続けた。すると水滴が徐々に水流となり、滝の如くうねりとなって筆から溢れ、宇宙空間へと舞い上がった。うねりは第三惑星の引力に引き寄せられ、やがて海を形成した。太陽系の水惑星、地球の誕生である。
 だが一時(いっとき)の後、グラース号は太陽から立ち上る紅炎に巻かれて、バランスを崩した。マールとフレイはお互いの手を取り、潤んだ瞳で見つめ合ったまま、グラース号もろともに地球へ激突、無残にも砕け散った。
 
 マールとフレイの亡骸は、地球の海底深く沈んだ。ただそのことが、地球の未来の命に繋がっているかどうかは、一部始終を傍らで見ていた、月だけが知っている。マールの想いも、フレイの心も、月は静かに見届けた。
 ——そして月は何も語らずに、今も地球と共にある。

-FIN-

作成 2015.06


テーマ 一本の筆に不思議な力を与え、フィクションを創る。

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