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人生を彩る美しき言の葉

 私の名前は〈喜久子(きくこ)〉。喜びがいつまでも続くようにと、両親が名付けてくれました。いえ、一説には、父親の名前の一字(晴)と、曾祖父の名前の一字(吉)と、初めと終わりを意味する、一と了()を足して出来た名前、とも言われています(笑)
 
 私が生まれた一九六〇年代、女の子の名前は、最後に〝子〟が付くものが殆どでしたが、〝美〟や〝紀〟が付く名前もありました。
 裕美(ひろみ)、真由美(まゆみ)、
 亜紀(あき)、美紗紀(みさき)、
 名前の大切さが解らなかった小学生の頃、これらの名前に憧れたものです。
 
 私は、〝人の名前〟に接した時、その人の両親や名付け親のことを、思い浮かべるようにしています。その名前から、
(あぁ、この人の両親は、この人にこんなことを望んでいるんだ)
 と、判ると、それだけで嬉しくなります。
 人は、名前を持った瞬間から、両親の深い愛情を享受している、と思うからです。
 だから私が、人に名前を尋ねる時は、
「どういう漢字を書きますか?」
 と、質問するように心がけています。
 
〈名前〉に関して昔の武士は、諱(いみな)(実名)と、字(あざな)(通称)に分けて名付けられました。
 諱は、口にすることが憚られる、というところから、字で呼び掛けることが、礼儀とされてきました。名前に、畏怖の念さえ抱いていたのです。
 
 しかし今、子供の名前は〈キラキラネーム〉と呼ばれるものがあり、その名前には、親の威厳などあったものではありません。
 光宙(ぴかちゅう)、宝冠(てぃあら)、
 木星(じゅぴたー)、今鹿(なうしか)、
 何がどうなっているのやら、本当に悲しくなります。言葉の持つ力を、子供たちの両親は解っているのでしょうか。
 
〈言葉〉に関して言えば、私はエッセイなどを綴る時、言葉が文字となり、文章となる過程が美しいと感じるので、文字は丁寧に書くようにしています。私の文字を見た人が、それを感じ取ってくれたら、嬉しいです。
 私は〝人の名前〟も、ひとつの完成された文章だと考えています。名前ほど、打てば響くように、呼べば応えるように、言霊となって、私たち自身に返ってくるものはありません。だからこそいつも以上に、心を込めて書き綴るようにしています。
 
 若い時分には、考えもしなかったことですが、四十八歳になった現在(いま)、最も美しいと思うものは、やはり〝人の名前〟です。
 その背景には、日本の美しい言葉があり、それらを願う、両親の愛情があるのです。
 私は自分の名前に、誇りを持っています。

 

-FIN-

 作成 2015.03


テーマ 年齢を重ねた現在(いま)の自分が最も美しいと思うもの、についてエッセイを書く。

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