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幸せは君達の上に

 ボクは右手。動かない右手。喜久子さんの上半身右側に、折れ曲がったようにくっついているだけの、役に立たない右手。四十七年間、ボクは喜久子さんに何もしてあげられなかった。でもボクも生きている。麻痺はしているけれど、喜久子さんの身体の一部なんだ。
 そんなボクにとって、喜久子さんの左手は憧れの存在。まるで魔法を使うかのように、ちょちょいのちょいで何でもこなす。すごいなぁ、かっこいいなぁ、それに羨ましいな。
 ボクが左手の一番だと思うところは、きれいな字を書くところ。丁寧な字なんだよ、本当に。でもね、お箸の持ち方が鉛筆と同じで、食べ方はちょっとおかしいんだ。左手にも、意外な弱点があるんだよね。
 でもそれは、ボクが動けない分、左手が器用に頑張ってくれているから、ボクは笑わない。それに仲良くしたいな、と思っているのに、年月が経つにつれて、左手が遠い存在になってしまって、今は話しかけづらいんだ。
 
 僕は左手。毎日忙しく動いている左手。喜久子さんの上半身左側にある、自分の信ずるところを貫こうとする、反骨精神バリバリの左手。だけど僕も、喜久子さんと共に四十七年間の歳月を経て、随分、温厚でのんびりとした態度をとるようになったと思う。
 そんな僕にとって、喜久子さんの右手は気になる存在。いつも何かを我慢している右手は、本当にすごいと思う。
 喜久子さんが中学生の時、僕の小指を骨折したことがあった。中指、薬指、小指を包帯で一つにされ、字を書くのも、食べるのも、トイレに行くのさえ一苦労だった。その時右手は僕をすまなそうに見て、涙を浮かべた。
 僕は自分のことで精一杯で、右手のことまで考えてあげられなかった。『大丈夫だよ、これからも君の分まで動くからね』そう言いたかったのに、タイミングをはずして言えずじまい。だから近くにいるのに、今も何だか話しかけづらくなってしまっている。
 
 私、喜久子はそんな右手と左手が愛しいです。私が十歳の頃までは、よくケンカもしていたみたいだけど、今はお互い話すことも少なくなったようですね。私が仲を取り持つことも考えましたが、このままでもいいのかもしれません。私ではなく、君達自身が思い、悩み、考えることが大切だから。
 私はいつも感謝しています。右手と左手、君達が私のアイデンティティなのです。
 これからもずっと一緒に歩んでいきましょう。左手は頑張りすぎないように。右手もいつも笑っていて下さい。そして、人一倍努力している君達に、幸せが訪れますように。

-FIN-

 作成 2013.09


テーマ 手・指・爪にまつわる事をテーマにエッセイを書く。

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