top of page

緊張の行方

 京都新聞文化センターのエッセイ教室を受講して二年半。私は月一回、鼓動が早くなり、声が震え、手が震え、緊張の度合いが頂点に達する時間を迎える。受講者の私達は、自分の文章を自分で読まなければならないのだ。
 教室が始まるのは午前十時。約一時間先生の講義を聞き、ある時は同じ受講者の、先輩諸氏の話を聞いたりして、ほんわかと時間が流れる。しかし、とうとう先生の合図がある。
「さぁ、始めましょうか」

 この言葉を聞くと、毎回ドキッ、とする。四十四歳にもなって、文章を読む前はハラハラ、読んだ後もドキドキ。
(あぁ、いつになったら、先生の講評をまともに聞けるのだろう)
 そんな思いを抱いて今日まで来た。
 ところが、私の生活環境が少し変わったことで、今までの緊張の度合いにも、変化が生じたのである。
 
 今年二〇一〇年九月から、私は、京都市内にある障害者の作業所に、週二日通所することになった。仕事はミシン掛け。
 カタカタとミシンで、今はトートバッグや巾着などを作っている。
 私は、右半身が麻痺しているので、左足でペダルを踏み、左手だけでミシンを扱う。その時は細心の注意と、最大の緊張を伴って、ゆっくりゆっくりとミシンを進めていくのだ。難しいが、やり甲斐はあって、作品が出来た時の喜び、それがバザーで売れた時の嬉しさは、何ものにも変えがたい。
 
 作業所に通所するようになって、約一ヶ月、次のエッセイ教室でのこと。不思議なことに、ゆったりと落ち着いている自分がいた。確かに、文章を読む時には、声も手も震えていたかもしれない。けれど私自身は、大らかな気持ちで読み終えた。意外だった。
 やはり、週二回でもミシンを扱うことが、私にとって〝今、一番緊張する時〟となったのだろうか。
 
 考えてみると、活動の幅が広がるたびに、緊張の行方も、次へ次へと移っていく。
 家の中に引きこもっていた三十代は、緊張やストレスとは無縁で、自分がこんなにも、緊張しやすい性質だとは思ってもみなかった。
 しかし、一歩一歩前に進む為にも〝図太い緊張しぃ〟でいたいと思う。
 今月のエッセイ教室でも、落ち着いて文章を読もう。それでも「さぁ、始めましょうか」という先生の合図には、変わらずにドキッ、とするような気がするのだが。

-FIN-

 作成 2010.11


テーマ 一番緊張するときについてをテーマにエッセイを書く。

bottom of page