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おばあさんといっしょ

 私が住んでいるところは、京都市北西部の西陣といわれる一帯である。
 私が小学校五年生だった昭和五十二年当時は、まだ地場産業の西陣織が盛んで、地域にも織屋さんが沢山いて、活気づいていた。
 私の家も織屋で、私の一日の始まりは、朝早く階下から響いてくる機音を、確認することからだった。
 
 その頃、クラスの女子の間では、手合わせ遊びが流行(はや)っていた。その時に歌う歌は、
〝アルプス一万尺〟や〝茶摘み〟、〝みかんの花咲く丘〟などであった。休み時間になると、皆、こぞって手合わせした。
 私は、右手が生まれつきの麻痺があり、手合わせするのが難しかったので、歌を歌う係にしてもらっていた。
「きっこちゃん、歌、上手いなぁ」
 と、誉められて、
「えー、そうかなぁ」
 と、言いながら満更でもなかった。もしかしたら、この時の満足感が、今の私が歌好きである源なのかもしれない。
 
 家に帰っても歌の練習をした。機音に合わせて、あまりに大きな声で歌っているので、
「なんえ、川田正子(かわだまさこ)(※注1)でも目指してるんか?」
 と、お祖母さんに笑われてしまった。
(カワダマサコ、って誰やろ?)
 そう思いつつも、それには答えず、
「〝せっせっせ〟で歌う歌、練習してるんや。何かもっとないかなぁ」
 そう言うと、お祖母さんは何かを思い出すように、歌い出した。
「一かけ二かけ三かけて……って知ってるか?」
「えー、何それ! 教えて、教えて」
 それから、この〝一かけ二かけ〟という、長くてややこしいわらべ歌を、お祖母さんをせっつきながら、一晩で覚えた。
 そして次の朝、登校するなり、みんなに歌ってみせた。
「きっこちゃん、すごーい」
「おもしろいなぁ、その歌」
 と、皆が私を取り囲んだ。何だかヒロインになったようで、嬉しかった。
(お祖母ちゃん、おおきに!)
 こうして六年生の終わりまで、手合わせ遊びの歌に、〝一かけ二かけ〟も名を連ねた。
 
 このわらべ歌は、年代や地方によって、少しずつ歌詞やリズムが異なり、私が調べただけでも、二十以上あった。
 お祖母さんから教わった歌は、昭和初期に京都西陣で歌われていたものだろう。
 今も昨日のことのように思い出す情景。
 機音のする三和土(たたき)の土間で、私とお祖母さんが笑いながら歌っている。
「せっせっせーのヨイヨイヨイ♪
 一かけ二かけ三かけて、
 四かけ五かけで橋をかけ……」
 もう三十年以上も前のことだが、決して色褪せることのない、思い出である。

-FIN-

 (※注1 川田正子…日本の童謡歌手、川田三姉妹の長女。昭和十年代後半から昭和二十年代前半にかけて活躍した)
 


[参考]

  一かけ二かけ  わらべうた
 
 一かけ二かけ三かけて
 四かけ五かけで橋をかけ
 橋の欄干に腰をかけ
 はるか向こうを眺めれば
 十七・八のねえさんが
 片手に花持ち線香持ち
 ねえさんねえさんどこ行くの
 私は九州鹿児島へ
「西郷隆盛」娘です
 明治十年三月三日切腹めされた父親の
 お墓参りに参ります
 お墓の前では手を合わせ
 南無阿弥陀仏に目に涙
 もしも私が男なら師範学校を卒業して
 アメリカ語を習います
 梅には鶯ホーホケキョ
 ホーホーホーケキョと鳴いてます
 これで一巻終わりです

 作成 2011.12


テーマ わらべ歌、数え歌などをテーマにエッセイを書く。

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